許す。憎む。どちらが簡単?
2003年6月3日末弟、今だ、引きこもり(?)中。
これに胸を痛めるのは、家族。
私はもう、今まで充分痛めたし、
彼は23歳という大人領域の年齢なわけだし、
今後の人生は自分で考えてゆくしかないと思ってる故、放置。
勝手にしなさい。と、いうことだ。
それでも、末弟のことは、
昔から家族にとって重たい問題であり、
彼を間に挟みつつ、家族全員が
いろんな問題を孕んでいるのは、確かなのだ。
今日はひとつだけ。
どうしても口が裂けて、言ってしまったことがある。
嫁(母)と姑(祖母)の溝に関してのことである。
昔のことだ。登校拒否児であった、末弟。
そのことを、嫁に詰め寄った姑。
嫁だって、なにもしてこなかったわけじゃない。
精一杯、事にあたっている。それでも事態打開の策がない。
途方に暮れていた時だった。それなのに、、、。
義母の手前「ごめんなさい。私のしつけがなってなくて。」と、謝る嫁。
姑はその顔を見て、ハッ!としたという。
「今まで、家のために一途に働いてくれた嫁に対して、
なんてこと言ってしまったんだろう、、、。」
後悔先に立たず。
謝れないまま、時は過ぎ現在に至る。
なんで、こんなことを娘、もしくは孫が知っているのか。(苦笑)
何故か知りゃしない。
でも、私の前で、人は本音を言うことがある。
ある時、ばあちゃんは、泣いて言った。
「自分の息子があんな状態だったら、
ばあちゃんはどうしていいかわからない。
それをママ達は、忍耐強く待っている。
それなのに、あんな風に言ってしまって。」
ある時、ママは興奮して言った。
「パパとM(←末弟)は、同じ性格だし、
ばあちゃんとも似てるのよ。
それを棚に上げて、しつけのことを持ち出すなんて。
自分がそんなにきちんとしつけした、
偉い母親だって言うのかしらっ!」
日常生活でのたった一言。
それが人を容易に傷付けることがある。
でもそれは、一生拭い切れないほどの罪なの?
謝罪できないことは、罪かもしれない。
でも、容赦できないこともまた、罪ではないの?
甘いことを言っている?
でも、相手のこと知れば、知ろうとすれば、
話すことができることもあるでしょ。
母はずっとこの一件を根に持っていた。
(たぶん、母のことだから他にもあるのだろうけど)
散々、祖母は自分を棚に上げてものを言うと娘に愚痴ってきた。
祖母もまた、この一件をずっと気にしていた。
たまの会話で、ぽつりぽつり言う。
ばあちゃんは、ママに感謝しなきゃいけないの、、、。
溝なんてある?
ホントはあってないようなもの。
娘は、、、孫はずっと知っていたよ。
でもどうして、本当に言わなければいけない人に、言えないの?
板ばさみで苦しいから、言ってあげたの。
憎しみに捕われて、ちょっとだけ醜いママにね。
ばあちゃんは、泣いて私に言ったよ。
ママに悪いことしたって。
確かに直接言わないのは、よくないよ。
でも、そのことを一生ママは憎んでゆくの?
それって、どうなのよ。
ママはぶつぶつ文句を言っていたけど、
もう私は聞く耳持たない。その件に関しては聞きたくない。
だって、ずっと、聞いてあげたでしょ。
少し飽きたの。私もイライラしたの。ごめんね。
ばあちゃんが泣いていること知っているのに、
ずっとそんな風に言われ続けて、可哀想に思ったの。
ママはきっと、一生そんなこと気付きもしないで
生きてゆくのかと思ったら、
言わなきゃダメなんだって、思ったの。
私、間違ってた?、、、わからないよ。
でも、知ろうとも思ってないこと、一生わかりっこないよ。
私ばかりが真意を知ってても意味がない。
それはあまりに重過ぎて。重過ぎて壊れそうだよ。
当人同士じゃない、私が胸を痛めるのは、
割に合わない気がしたの。もうずっと。ずっとだよ。
すべてを知ってるなんて、偉そうなことは言わない。
私が知ってるのは、世界のちょっとした切れ端だよ。
でも、真実だよ。きっと、きっと。
見ようとしないものは、一生見えない。
*************************
どうか神様。私に寛大な視野と心をください。
海のように広く、湖のように穏やかな。
そして、宇宙のように皆を包み込む優しさをください。
憎むより、許すこと。その強さをください。
心を伝える、言葉をください。
贅沢言うな?、、、そりゃ、そうだ。(苦笑)
これに胸を痛めるのは、家族。
私はもう、今まで充分痛めたし、
彼は23歳という大人領域の年齢なわけだし、
今後の人生は自分で考えてゆくしかないと思ってる故、放置。
勝手にしなさい。と、いうことだ。
それでも、末弟のことは、
昔から家族にとって重たい問題であり、
彼を間に挟みつつ、家族全員が
いろんな問題を孕んでいるのは、確かなのだ。
今日はひとつだけ。
どうしても口が裂けて、言ってしまったことがある。
嫁(母)と姑(祖母)の溝に関してのことである。
昔のことだ。登校拒否児であった、末弟。
そのことを、嫁に詰め寄った姑。
嫁だって、なにもしてこなかったわけじゃない。
精一杯、事にあたっている。それでも事態打開の策がない。
途方に暮れていた時だった。それなのに、、、。
義母の手前「ごめんなさい。私のしつけがなってなくて。」と、謝る嫁。
姑はその顔を見て、ハッ!としたという。
「今まで、家のために一途に働いてくれた嫁に対して、
なんてこと言ってしまったんだろう、、、。」
後悔先に立たず。
謝れないまま、時は過ぎ現在に至る。
なんで、こんなことを娘、もしくは孫が知っているのか。(苦笑)
何故か知りゃしない。
でも、私の前で、人は本音を言うことがある。
ある時、ばあちゃんは、泣いて言った。
「自分の息子があんな状態だったら、
ばあちゃんはどうしていいかわからない。
それをママ達は、忍耐強く待っている。
それなのに、あんな風に言ってしまって。」
ある時、ママは興奮して言った。
「パパとM(←末弟)は、同じ性格だし、
ばあちゃんとも似てるのよ。
それを棚に上げて、しつけのことを持ち出すなんて。
自分がそんなにきちんとしつけした、
偉い母親だって言うのかしらっ!」
日常生活でのたった一言。
それが人を容易に傷付けることがある。
でもそれは、一生拭い切れないほどの罪なの?
謝罪できないことは、罪かもしれない。
でも、容赦できないこともまた、罪ではないの?
甘いことを言っている?
でも、相手のこと知れば、知ろうとすれば、
話すことができることもあるでしょ。
母はずっとこの一件を根に持っていた。
(たぶん、母のことだから他にもあるのだろうけど)
散々、祖母は自分を棚に上げてものを言うと娘に愚痴ってきた。
祖母もまた、この一件をずっと気にしていた。
たまの会話で、ぽつりぽつり言う。
ばあちゃんは、ママに感謝しなきゃいけないの、、、。
溝なんてある?
ホントはあってないようなもの。
娘は、、、孫はずっと知っていたよ。
でもどうして、本当に言わなければいけない人に、言えないの?
板ばさみで苦しいから、言ってあげたの。
憎しみに捕われて、ちょっとだけ醜いママにね。
ばあちゃんは、泣いて私に言ったよ。
ママに悪いことしたって。
確かに直接言わないのは、よくないよ。
でも、そのことを一生ママは憎んでゆくの?
それって、どうなのよ。
ママはぶつぶつ文句を言っていたけど、
もう私は聞く耳持たない。その件に関しては聞きたくない。
だって、ずっと、聞いてあげたでしょ。
少し飽きたの。私もイライラしたの。ごめんね。
ばあちゃんが泣いていること知っているのに、
ずっとそんな風に言われ続けて、可哀想に思ったの。
ママはきっと、一生そんなこと気付きもしないで
生きてゆくのかと思ったら、
言わなきゃダメなんだって、思ったの。
私、間違ってた?、、、わからないよ。
でも、知ろうとも思ってないこと、一生わかりっこないよ。
私ばかりが真意を知ってても意味がない。
それはあまりに重過ぎて。重過ぎて壊れそうだよ。
当人同士じゃない、私が胸を痛めるのは、
割に合わない気がしたの。もうずっと。ずっとだよ。
すべてを知ってるなんて、偉そうなことは言わない。
私が知ってるのは、世界のちょっとした切れ端だよ。
でも、真実だよ。きっと、きっと。
見ようとしないものは、一生見えない。
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どうか神様。私に寛大な視野と心をください。
海のように広く、湖のように穏やかな。
そして、宇宙のように皆を包み込む優しさをください。
憎むより、許すこと。その強さをください。
心を伝える、言葉をください。
贅沢言うな?、、、そりゃ、そうだ。(苦笑)
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