私、、、らしい。
2004年10月30日随分ご無沙汰しておりましたね、日記。
この間、何してたかって言うと、
何もしてなかったような、してたような。
初雪が降ったり、仕事が忙しかったり。
なんかね、日記を書く行為自体に意欲が湧かなくなってるのも事実で、、、。
日記タイトル下の見出しに
『自分探しの旅はもう終わりだよ。』と書いたのは、先月中旬頃。
私にとって日記は「自己確認」の場だった。
その日「居た」と思われる「自分」を確かめることだった。
客観的に自分の位置を捉える。そのための手段だったと思う。
、、、だけどね。
ここに来て「自分」は「ここにいる」と言うことを
自然に感じられるようになってきたんだよ。
「確立」とまでは言い切れないけど、
長年、引きずった鬱から今年の始め、ついに抜け出した。
そして、春を過ぎ、夏を過ぎ。今や、秋も終わろうとしている。
なんだかね、とっても安定してきたし、安心してきたんだよ。
「生まれたことの意味」や「将来の夢」「使命」や「大きな志」。
そんなもの無くたって、ちゃんと生きてゆけるんだ。って、感じてる。
前はそういう、ハッキリした「生きる意味」が欲しくて欲しくて仕方なかった。
でもね、今は、そんなのは、どうでもよくなってきているんだ。
一種の「逃げ」、、、かなぁ。どうなんだろ?
よくわかんないけど、私は今のところ、
なんとなく納得しているからいいのだ。(結局、自己満足か。苦笑)
今の自分が間違っているのか、正しいのかなんて、どうだってよくて、
毎日、仕事をし、ご飯を食べ、たまに遊び、そしてまた眠る。
その繰り返しが「虚しい」ことではないって、今は思えるようになってきた。
日々を積み重ねること。
それによって、私は高さを増し、重さを増し、長さを増す。
そうすることでしか「生きる」ことは、できない。
「偶然」が重なって、生き、生かされる。
それを恐がっていても仕方がないし、それを待ち望んでも仕方がない。
ただ、ただ、日々を生きること。
私はここにいて、私に私を重ねて、私になってゆくのだ。
自分を探しにゆく旅は、しばしお休み。
、、、とか、言いながら3日後には、出掛けているかもしれない。(笑)
それがまた、私らしい。
だったら、いいじゃない。それでいいんだよ。
この間、何してたかって言うと、
何もしてなかったような、してたような。
初雪が降ったり、仕事が忙しかったり。
なんかね、日記を書く行為自体に意欲が湧かなくなってるのも事実で、、、。
日記タイトル下の見出しに
『自分探しの旅はもう終わりだよ。』と書いたのは、先月中旬頃。
私にとって日記は「自己確認」の場だった。
その日「居た」と思われる「自分」を確かめることだった。
客観的に自分の位置を捉える。そのための手段だったと思う。
、、、だけどね。
ここに来て「自分」は「ここにいる」と言うことを
自然に感じられるようになってきたんだよ。
「確立」とまでは言い切れないけど、
長年、引きずった鬱から今年の始め、ついに抜け出した。
そして、春を過ぎ、夏を過ぎ。今や、秋も終わろうとしている。
なんだかね、とっても安定してきたし、安心してきたんだよ。
「生まれたことの意味」や「将来の夢」「使命」や「大きな志」。
そんなもの無くたって、ちゃんと生きてゆけるんだ。って、感じてる。
前はそういう、ハッキリした「生きる意味」が欲しくて欲しくて仕方なかった。
でもね、今は、そんなのは、どうでもよくなってきているんだ。
一種の「逃げ」、、、かなぁ。どうなんだろ?
よくわかんないけど、私は今のところ、
なんとなく納得しているからいいのだ。(結局、自己満足か。苦笑)
今の自分が間違っているのか、正しいのかなんて、どうだってよくて、
毎日、仕事をし、ご飯を食べ、たまに遊び、そしてまた眠る。
その繰り返しが「虚しい」ことではないって、今は思えるようになってきた。
日々を積み重ねること。
それによって、私は高さを増し、重さを増し、長さを増す。
そうすることでしか「生きる」ことは、できない。
「偶然」が重なって、生き、生かされる。
それを恐がっていても仕方がないし、それを待ち望んでも仕方がない。
ただ、ただ、日々を生きること。
私はここにいて、私に私を重ねて、私になってゆくのだ。
自分を探しにゆく旅は、しばしお休み。
、、、とか、言いながら3日後には、出掛けているかもしれない。(笑)
それがまた、私らしい。
だったら、いいじゃない。それでいいんだよ。
コメント