木曜日。朝の仕事が早く終わったので、映画を観に行った。

「笑の大学」。
過去に、三谷幸喜氏が、ラジオドラマや舞台として展開させてきた物語だ。
それが、今年、映画という形になった。
私は、ラジオも舞台も観てはいないが、
作品として評価が高いことはなんとなく知っており、非常に気になっていた。

舞台は、昭和15年の東京。
「表現の自由」が、国によって規制され、日本は戦争へと、どんどん邁進してゆく。
その時世の中、警視庁の検閲官・向坂睦男(さきさかむつお:役所広司)と、
喜劇劇団の座付作家・椿一(つばきはじめ:稲垣吾郎)は出逢う。
二人は「笑」という「表現の自由」を中心に対峙する。
一方は「笑」を淘汰しようとし、一方は生き残ろうとする。

向坂睦雄役の役所広司と、椿一役の稲垣吾郎。
ほとんど、この二人で、この映画は進んでゆく。
映画で二人芝居。それは、かなり難しいことだと、素人でもわかる。
しかし、これが、なんとも上手く描かれている。

監督は星護氏。
この人、フジの月9ドラマなど手掛けていた人で、
私は、彼の創る作品が、結構ツボにハマりやすいらしく、
「おもしろいなぁ」と思うと、彼が監督だったりする。
「古畑任三郎」の第1シリーズとか、「ソムリエ」とか、
あと「僕の生きる道」とか、やっていた人なんだけど。
この映画は彼の記念すべき第1回作品だ。
彼の創った映画観たさに、映画館へ行った。と、言っても過言ではない。

星さんの映像は、どこかファンタジックな不陰気が漂っていて、
ここではないどこかのようで。どこかにある、あの場所のようで。
たまにポーンっと入る、奇抜なアングルもまた、小気味よい。
観るものを画面に、ぐぐっと、惹き寄せる構成力。
今回も、その手腕を多いに発揮させていたように思う。

とにかく、三谷幸喜氏お得意の密室劇。しかも二人しかいないのだ。
これを2時間持たせるわけだから、画が上手くないといけない。

セットがすごく象徴的でいい感じだった。
二人が対話し続ける「取調室」。
シンメトリーに配置された机と椅子。そして、窓。
扉と対峙する、向坂側の後ろにある、小さな窓もいい。
椿が、検閲を巧みに抜ける「希望の抜け道」のようだ。
色調を押さえた部屋。
そこに差す光が、物言わぬ部屋に物を言わす。
整然としているからこそ、役者二人の動きが生きるのかもしれない。

役所広司さんの役者としての力量。これは、ホントに素晴らしかった。
「向坂睦雄」という役に徹すれば徹するほど、おかしくて笑える。
「椿一」役の吾郎ちゃんもいい。
長年バラエティで培った、間合いをいかんなく発揮していた。
表情のアップだけで、台詞なしといった場面でも、
充分、芝居ができているのだ。いい役者だなぁと思った。
あと、三谷氏もパンフの中のインタビューで言っているが、
「左利き」が、かなりいい感じで「椿一」という人物を現している。
画面構成上も、左利きだと、椿が脚本直している時など、
表情が見えて良い感じに見えた。

劇中、何度も「クスクス」「くく」「ぷぷっ」「わはは」など。笑わされる。
しかし、この映画は『コメディ』ではないのだ。
なんとも『シリアス』な映画だなぁと、感じるのだ。
『シリアス』であればあるほど、おかしくて笑えてくる。
ここんとこが、誠に不思議な「三谷マジック」。なのかもしれない。

あまりストーリーについては触れないでおくよ。
三谷氏の脚本の上手さが、漏れてしまうと、
万が一、ここを読んだ後、映画を観る方が面白くないから。

なんかね、観た後、思い出し笑いしてしまうんだよね。
お気に入りのシーンが頭を過って、こう「うぷぷぷ、、、」っと。

とりあえず、星さんはまた映画撮るのかな。
星映画をまた観たいなぁ。って思った。
「二人芝居」をここまで料理しきれたわけだから、
もっと違うもの撮ったら、どうなんだろうって。

ここ数年、ホントに邦画が面白くなってきていて、
映画館に観にゆくのも、邦画が多い。
たくさん映画を観ているわけじゃないけど、
洋画と違うのは、その画面の雰囲気だと思う。

情緒豊かな日本人の感性。
そういうのが其処はかとなく感じられる。色彩とか色調とか。
私はそういう「雰囲気」がすごく好きなんだと思う。
もちろん洋画を観ても、感動はするんだけど、
画面の隅々の色まで好きってのは、あまりない。

これからもどんどん良作の邦画が創られればいいなぁと、切に思うのだった。

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