「言葉」以上に雄弁に語る「音楽」。
目の前で起こる光景に、何度ドキドキわくわくしたことか。
「坂田学」というミュージシャンを通して、
ふるい分けられた細かな「音の粒子」。
それがゆっくりとゆっくりと、会場に降り積もってゆく。
一部の隙間もなく、ガラス瓶に詰まった砂絵のよう。
なんて美しい“gradation”だろう。
一音鳴った瞬間にはじまるのだ。
坂田氏から沸き立つ空気が見えるようだ。
澄んでゆく、研ぎすまされてゆく。だけど、とても穏やかで優しい。
すべての境界線を越え、すべてのものが繋がってゆく。
超然。
一言で言うなら、そういう感じ。
深い深い森のなか。深い深い水のなか。
はたまた、それは深い深い人のなか、自己のなか、か。
落ちてゆく、いや、潜ってゆく。浸水?、、、いや、心酔か。
いずれにせよ。
どんなに落ちても潜っても、戻ってこれる。戻らせてくれる。
それが、坂田氏の音楽の、または坂田氏自身の凄さでもあると思う。
「命綱」というか「揺るぎない軸」というか。
そういうものをしっかり持っているから、
どこまでも行けるというか。許されるというか。
それがある種の「安心感」や「安堵感」を
持たせてくれるのかなぁ、と(勝手に)思っている。
現実も幻想も、過去も未来も、裏も表も、内も外も。
当然のように繋がっているのだ。
なんのつっかかりもなく行って帰ってこれる。
常人ではアクセスできない場所に、
坂田さんはピピピピーッとアクセスしているように見える。
「天才だーーーー、、、。」と思わずにはいられない。のです。
またね、絶対行きますよ。
ホントにホントに素晴らしい夜でした。
この感動を分かち合い語り合える、
友人がいることもホントにホントに有り難いことです。
いつも一緒にライブ行ってくれるYさん、ありがとう。
また、絶対一緒にライブ行きましょー。
目の前で起こる光景に、何度ドキドキわくわくしたことか。
「坂田学」というミュージシャンを通して、
ふるい分けられた細かな「音の粒子」。
それがゆっくりとゆっくりと、会場に降り積もってゆく。
一部の隙間もなく、ガラス瓶に詰まった砂絵のよう。
なんて美しい“gradation”だろう。
一音鳴った瞬間にはじまるのだ。
坂田氏から沸き立つ空気が見えるようだ。
澄んでゆく、研ぎすまされてゆく。だけど、とても穏やかで優しい。
すべての境界線を越え、すべてのものが繋がってゆく。
超然。
一言で言うなら、そういう感じ。
深い深い森のなか。深い深い水のなか。
はたまた、それは深い深い人のなか、自己のなか、か。
落ちてゆく、いや、潜ってゆく。浸水?、、、いや、心酔か。
いずれにせよ。
どんなに落ちても潜っても、戻ってこれる。戻らせてくれる。
それが、坂田氏の音楽の、または坂田氏自身の凄さでもあると思う。
「命綱」というか「揺るぎない軸」というか。
そういうものをしっかり持っているから、
どこまでも行けるというか。許されるというか。
それがある種の「安心感」や「安堵感」を
持たせてくれるのかなぁ、と(勝手に)思っている。
現実も幻想も、過去も未来も、裏も表も、内も外も。
当然のように繋がっているのだ。
なんのつっかかりもなく行って帰ってこれる。
常人ではアクセスできない場所に、
坂田さんはピピピピーッとアクセスしているように見える。
「天才だーーーー、、、。」と思わずにはいられない。のです。
またね、絶対行きますよ。
ホントにホントに素晴らしい夜でした。
この感動を分かち合い語り合える、
友人がいることもホントにホントに有り難いことです。
いつも一緒にライブ行ってくれるYさん、ありがとう。
また、絶対一緒にライブ行きましょー。
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