三十路の道は殊更に。
2006年2月19日 猫のうた・散文父親の暴挙(?!)によって、私の心の均衡は崩された。
本人にそんな気持ちは微塵もないとしても、
私の一部は、完璧に「パニック」に落ち入った。
動悸、目眩、頭痛、手足のしびれに、倦怠感。そして過呼吸。
右目まぶたの痙攣も止まらない。何かに付け、ヒクヒクしている。
ただ、それらはすべて「過去」にも起こっていたこと。
なぜそうなるのか、、、。
今の私には、きちんとわかる。
なによりもそれが救いであった。
「パニックになった私」を「もうひとりの私」はとても冷静に状況判断している。
それができるだけ、前よりもずっと不安は少ない。
「ストレス」になっている原因を排除できれば治るだろうけど、
それは、きっとできない。
「生きる」ということは、いつもなんらかの「ストレス」との戦いであるから。
父にハッキリとした答えを出すことは、今の私には到底できない。
ただ、今またここで、もう一度決めたこと。
-----------------------------------------------------------
私の目標は「生きる」ということである。
最低限のルール。
“神様が決断を下さない限り、死を選ばない”ということ。
弱いままでもいい。自分を見失うな。
-----------------------------------------------------------
昨日、30歳になりました。
神様。私の心に新しいパーツをありがとう。
空白の心は、歳を重ねる度、少しずつ埋まってゆきます。
今はまだ未完であっても仕方がないのは、そのせいですね。
きっといつか、満たされた時「逝く」ことが、
正しいことなのだろうと思っています。
その日までは、毎日が、毎年が、
「生きる」ということの積み重ねであると思います。
今年もまた、殊更、図々しく生きられますように、、、。
本人にそんな気持ちは微塵もないとしても、
私の一部は、完璧に「パニック」に落ち入った。
動悸、目眩、頭痛、手足のしびれに、倦怠感。そして過呼吸。
右目まぶたの痙攣も止まらない。何かに付け、ヒクヒクしている。
ただ、それらはすべて「過去」にも起こっていたこと。
なぜそうなるのか、、、。
今の私には、きちんとわかる。
なによりもそれが救いであった。
「パニックになった私」を「もうひとりの私」はとても冷静に状況判断している。
それができるだけ、前よりもずっと不安は少ない。
「ストレス」になっている原因を排除できれば治るだろうけど、
それは、きっとできない。
「生きる」ということは、いつもなんらかの「ストレス」との戦いであるから。
父にハッキリとした答えを出すことは、今の私には到底できない。
ただ、今またここで、もう一度決めたこと。
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私の目標は「生きる」ということである。
最低限のルール。
“神様が決断を下さない限り、死を選ばない”ということ。
弱いままでもいい。自分を見失うな。
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昨日、30歳になりました。
神様。私の心に新しいパーツをありがとう。
空白の心は、歳を重ねる度、少しずつ埋まってゆきます。
今はまだ未完であっても仕方がないのは、そのせいですね。
きっといつか、満たされた時「逝く」ことが、
正しいことなのだろうと思っています。
その日までは、毎日が、毎年が、
「生きる」ということの積み重ねであると思います。
今年もまた、殊更、図々しく生きられますように、、、。
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