トラウマ。
2003年3月19日ぼくの父親は愛情豊かだが、ワンマンで、不器用で、短気だった。
、、、っていうか、今もそういう人である。
ぼくは、大きな声で笑う客人が来ただけで、
夜泣きし、母親を手こずらせる神経質な赤ん坊だった。
今は、、、年齢を重ねた分、ゆとりがある。と、言っておこう。
記憶は定かじゃない。
でも、どうやらぼくは物心付く前から、
父親の理不尽な怒りを浴びせられていた。
理不尽、、、じゃないのかもしれないけど、父は短気で不器用だった。
子供に「なぜ怒っているのか」を説明できなかったのだ。
手を上げないことだけは心に誓っていた人だったが、
怒声、罵声は雨霰のように浴びせる人だった。
気付いた時には、もう遅かった。
男の人の大きな声が苦手だった。
それは、例えぼくに向けられていなくても。
笑い声でも、話し声でも。
大きな声は意味もなく、ぼくの恐怖心を煽った。
そして、日常。何気ない一時。
それは急にやってくるようになった。
聞こえていなくても、突然、一方的に押し寄せる。
波のように襲いかかり、ぼくをこの世ではない何処かへさらった。
突然の不安感、恐怖心。
手足は強ばり、冷たくなった。
冷汗を止められない。
とにかく恐くて仕方がなかった。
原因はわからなかったし、誰にも言えなかった。
説明しようがなかった。どう言ったらいいのか。
今ほど、心理面のケアを大事にされてない時代だった。
何年間も、その不安感と戦っていた。
原因を突き止めたのは、自分と向き合い始めて
数年経った時だった。
父親がなぜ今のような人格になったのか。
そのへんも理解せねばならなかった。
自分の内面を理解するには、
家族の生い立ちまでも受け入れるのが必要不可欠だった。
原因も父親の性分も理解した。
でも、治るのは、まだ先の話だった。
脳内では無意識に、一時的なパニックが起こる。
外出中に聞こえる男の人の大きな話し声。
「自分が怒られているのではないよ」そう言い聞かせる。
心の中にいる「子供のぼく」の誤解を解く必要があった。
ごく最近、変化は訪れた。
仕事場に業者の人が入ることがある。
彼らは大きな声で話をする。
その声が耳に入る度、ぼくは無意識で震え上がった。
しかし、先日。
いつものように業者の人がやってきた。
彼らは大きな声で話をしていた。が、なんと。
なんでもないのだ。特に気にもならない自分がいた。
驚いた。
そういえば、最近、父親の大きな声も気にならない。
突然の押し寄せるあのえも言われぬ不安感。
最近は、感じることがなくなってきたことに気付いた。
「子供のぼく」は癒されたのだろうか。
一時的に心理や精神に関する本を読みあさっていた。
母親は、気味悪がったが、ぼくには必要な知識だった。
治ったというのかは、わからない。
でも、なにかから「脱出」したような気はする。
明日から、もっと楽に生きられるだろうか。
、、、っていうか、今もそういう人である。
ぼくは、大きな声で笑う客人が来ただけで、
夜泣きし、母親を手こずらせる神経質な赤ん坊だった。
今は、、、年齢を重ねた分、ゆとりがある。と、言っておこう。
記憶は定かじゃない。
でも、どうやらぼくは物心付く前から、
父親の理不尽な怒りを浴びせられていた。
理不尽、、、じゃないのかもしれないけど、父は短気で不器用だった。
子供に「なぜ怒っているのか」を説明できなかったのだ。
手を上げないことだけは心に誓っていた人だったが、
怒声、罵声は雨霰のように浴びせる人だった。
気付いた時には、もう遅かった。
男の人の大きな声が苦手だった。
それは、例えぼくに向けられていなくても。
笑い声でも、話し声でも。
大きな声は意味もなく、ぼくの恐怖心を煽った。
そして、日常。何気ない一時。
それは急にやってくるようになった。
聞こえていなくても、突然、一方的に押し寄せる。
波のように襲いかかり、ぼくをこの世ではない何処かへさらった。
突然の不安感、恐怖心。
手足は強ばり、冷たくなった。
冷汗を止められない。
とにかく恐くて仕方がなかった。
原因はわからなかったし、誰にも言えなかった。
説明しようがなかった。どう言ったらいいのか。
今ほど、心理面のケアを大事にされてない時代だった。
何年間も、その不安感と戦っていた。
原因を突き止めたのは、自分と向き合い始めて
数年経った時だった。
父親がなぜ今のような人格になったのか。
そのへんも理解せねばならなかった。
自分の内面を理解するには、
家族の生い立ちまでも受け入れるのが必要不可欠だった。
原因も父親の性分も理解した。
でも、治るのは、まだ先の話だった。
脳内では無意識に、一時的なパニックが起こる。
外出中に聞こえる男の人の大きな話し声。
「自分が怒られているのではないよ」そう言い聞かせる。
心の中にいる「子供のぼく」の誤解を解く必要があった。
ごく最近、変化は訪れた。
仕事場に業者の人が入ることがある。
彼らは大きな声で話をする。
その声が耳に入る度、ぼくは無意識で震え上がった。
しかし、先日。
いつものように業者の人がやってきた。
彼らは大きな声で話をしていた。が、なんと。
なんでもないのだ。特に気にもならない自分がいた。
驚いた。
そういえば、最近、父親の大きな声も気にならない。
突然の押し寄せるあのえも言われぬ不安感。
最近は、感じることがなくなってきたことに気付いた。
「子供のぼく」は癒されたのだろうか。
一時的に心理や精神に関する本を読みあさっていた。
母親は、気味悪がったが、ぼくには必要な知識だった。
治ったというのかは、わからない。
でも、なにかから「脱出」したような気はする。
明日から、もっと楽に生きられるだろうか。
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