いや〜、朝からめでたいね。
もうイイ気分だから、日記書いちゃうよ。ふはははは。

ぼくんちの電話は、繋がらなかったけど、
開始10分。援護を頼んでおいた友人宅の電話が繋がる。

あとは、引き替えてくるだけ〜♪

よっしゃ〜、これで、年末はシカオライブで締めるぞーっ。

晩秋。

2002年10月19日
さっき起きた。(午前3時)
居間で寝るクセがついた。まずい。
風邪ひいてしまうではないか。
明日の、、てか、今日か。
天気予報で、最低気温は0度となった。

晩秋。

秋から冬へのバトンタッチはもうそこまできている。

感覚。

2002年10月18日 猫のうた・散文
感覚のバルブを全開にしてみる。

例えば、風が吹いてきたとする。

温度、湿度、流れ、匂い、手触り、音。

体の中に風を導き入れるのだ。

そして、通り抜けたあとに残るもの。

それが、ぼくの感じたことなのだ。

善も悪も、皆、一度、受け入れる。

それは、けして危険なことではないと思う。

わだかまって、矛盾を抱える結果になっても、

ぼくは、きっと両方を受け入れるだろう。

胸の真ん中にひしめく感情を、昇華させる時。

ぼくには、安らかな幸せが訪れるのだ。

ただ、素通りせぬこと。

目に見えるもの。

耳に聞こえるもの。

この手に触れるもの。

すべては尊き経験になるだろう。

感覚を閉じることなかれ。

内に外に、感じ続けること。

それをひたすら続けてゆくこと。

ぼくにとって、それが生きる喜びにも近い感覚だろう。

虹の橋。

2002年10月17日
昨日の日記読んだ方が、
掲示板にこんな書き込みをくれた。

“きさらぎさんが見た夢の場所は『虹の橋』ではないでしょうか?”

知らない、、、早速、検索。

http://www.urban.ne.jp/home/cielo/as-niji.html

↑内容は、こんな感じ。

すごっ。鳥肌と同時に涙が出た。

ぼくは、この話を全く知らなかった。
ついでに、とみこが死ぬなんて思ってもいなかった。
まだ、先のことだと思ってたんだ。

予備知識もない、、、なのに、あの夢。

鮮烈に覚えている。
さんたは、若く2〜3歳くらいであり、
他の犬もまた、そのくらいの年齢に見えた。
そして、緑の芝生は地平線まで続いていたのだ。
山などない。ただただ、広い芝生なのだ。
そして、なにより不思議なのは、空だ。
青くなかった。
それは光りに包まれたような空間で空は白い。
でも、けして眩しいわけではない。
ほんわかとあったかく、とても居心地がいい場所だった。

『虹の橋』。

あの時、ぼくはなにを見たのだろう。
ってか、そんなもの見た自分がちょっとコワイわ。(苦笑)

夢枕。

2002年10月16日
とみこが亡くなる前日、さんたの夢を見た。
広い緑の芝生で、いろんな犬と走り回っていた。
そこには、とみちゃんはいなく、ぼくもいない。
ただただ、さんたと他の犬が楽しそうに遊んでいるのだ。

今思えば、これは、
さんたが夢枕に立っていたということなのかな。
「こういうところへ逝くんだよ。安心してね。」て、こと?

とみちゃんが逝く時。
ぼくはハッキリと、さんたととみが、
芝生を元気に走り回る映像が浮かんでいた。
だから、そんなに悲しく思わなかった。
それは、ホント。

今まで、さんたの夢をあんなに鮮明に覚えていたことなどない。
いや、見たことすら皆無だ。

今頃、さんたの案内で、
広い広い場所でいろんな友達をつくって、
楽しくやっているんじゃないかなぁ〜。

、、、なんて思うのは、どうだろう。

そういえば、曾祖父が亡くなって
四十九日の法要が終わった時も見たな。夢。
もちろん、曾祖父の夢。

こういう現象って、いったいなんなんだろう、、、謎。
ここ最近、ずっと元気なかった。

とみこは、10年前、拾った捨て犬だった。
もうすでに成犬であり、何歳かはわからなかった。

愛らしい、つぶらな丸い瞳と、
フワフワのテリアを思わせる毛並み。
ココア色の彼女は、ぼくを頼って、そっと近付いてきたのだ。
それまで、彼女は、家の付近に住みついてはいたけど
家族の誰1人にも、近付いてくるようなことはなかったらしい。

当時、ぼくはまだ学生で、その日は休みだったと思う。
家族に話しを聞いていたけど、
ぼくはまだ、彼女に直接会ってはいなかった。

外でなにかしていたような記憶がある。
そこへ彼女は不意に現れたのだ。

「おいで。」と手を伸ばしたら、
吸い込まれるように彼女は腕の中で丸くなった。
まるで呼ばれるのを待っていたようだった。

その日から、彼女は家族になったのだ。

「とみこ」と名付けたのは、その時、一緒にいた大叔母である。
時の総理大臣「村山富市」さんの眉毛のような、
フサフサの毛が顔を被っていたからである。

とみこは、控え目で、大人しく、臆病な子だった。
お客さんが、来ても吠えるばかりで、すぐ隠れる。
家族以外には、あまり心許さず、愛想もしない。
ただ、おやつをくれる人には、行儀良くお座りし、
しっかりおやつをいただくような、ちゃっかりした性格だった。

まんまるでぷくぷく。
甘いお菓子大好き。
犬用ビスケット、ジャーキー大好き。
松の木の下でのお昼寝。
祖母の畑仕事のおつき合い。
雷は大嫌い。写真のフラッシュにも怯えた。
ブラッシングは苦手。
でも、されると、嬉しい。

まるい茶色のぷくぷくは、
ぼくの手の中でゆっくりとその生涯を閉じた。
一度消えかけた、命の火。
ぼくは焦って、呼び戻してしまった。
「とんちゃんっ!とんちゃんっ!!」
彼女は大きく息をついて、心臓は再び弱々しく動き出した。

でも、絶対、もう無理だって思った。
次に、心臓が止まったら、もう二度と声を掛けないと誓った。

安らかに、とにかく苦しまずに逝かせたかった。

死ぬ時に一番最後まで残る感覚は聴覚なんだって。
だからぼくは、ずっと話し掛けた。

とんちゃんは、いい子だったよ。すごく、いい子だった。
向こうには、さんちゃん(昨年5月に永眠した愛犬)もいるし、
そのうち、ぼくも逝く場所だから。
待ってて。また会えるよ。
だから、恐くないよ。大丈夫。大丈夫だからね、、、。

ゆっくり消えた、命の火は、青い青い空に登った。
愛おしい亡きがらを残して、旅立った。

とんちゃん。大好きだったよ。
うちに来てくれてありがとう。
うちを選んでくれてありがとう。

また、会おうね。
寝た。仕事して、んで、寝た。
移動5時間。ローカル線はつらかった。
自分の基礎体力のなさを実感した。

仕事中も耳鳴りがした。
貧血かよ。(苦笑)

一昨日のライブの余韻を引きづりながらも、
すでに心は再来週の札幌行きへ。

小林建樹、札幌では2度目。
約3年ぶりのインストアライブである。

大好きである。ホントに、ホントに。

『新しいけど懐かしい』そういう音楽だと思う。

あつらえたようにピッタリとはまる既製品があるように、
小林建樹の音は、ピッタリとぼくの耳にはまったのだ。
まるで、用意されていたかのようだった。

そして、なぜだろう。その懐かしさ。
どこかでぼくの思い出を、心の縁をなぞる。

刹那さ。幸せ。哀しみ。葛藤。違和感。日常。

音楽だけではない。その人柄や考え方。
「好みが服を着て歩いてる。(笑)」と、
言ったことがあるが、あながち嘘ではない。

好きだから、和むのか。
和むから、好きなのか。

とにかく、精神的ジェットコースターの常連客のような、
アップダウン激しいぼくの心が彼に会うだけで
ある程度、安定するのは、確かなのだ。

自分にないものと、自分にあるもの。

両方持ち合わせている人な気がする。
比例と反比例の作用が、半分半分で
打ち消し合って、ゼロになる感じ。

、、、もっと身近でそういう人に会いたいよ、ぼくは。(苦笑)
帰ってきたら、ベットの上に
ネズミのおもちゃ(猫用)が、寝かされいた。

帰る早々、脱力する。

なんの暗示ですか、ビスケくん、、、。
さびしかったんかな。(苦笑)

それはそうと、ライブ行ってきました。
会場は教会。小さな木造のかわいい教会でした。
ぎっしりと詰め込まれた、パイプ椅子。
お客さんは、子供からお年寄りまで。

今回のライブを主催しているのは、知人である。
仲間を呼び合い、助け合いながら、今日に至った。
その努力とやる気の素晴らしさに、まず敬意をはらいたい。

佐呂間町という、小さな町。
ゆえに、お客の大半はリクオさんを知る由もないハズ。
それ以前に、普段「音楽」というものに
触れているかさえ皆無な気がした。

『今日が生まれて初めてのライブ体験』

、、、そういう雰囲気だった。

照明が消され、程なく、
リクオさんが客席の間の花道をぬって、登場した。
「今晩わ。どーも、リクオですっ。」
いつものぴょこんと少し跳ねるようなお辞儀と、
額の前で2本指を揃え、ピっと、決めポーズ。
さささと、エレピ前に座り演奏開始。

セットリストは省略。
ぼくの感想のみを記載するよ。

演奏曲は全部で16曲。(だったかな。)
トークは長めだったように思う。
今日のリクオさんはちょっと鼻声。
あとで聞いたら、やはり鼻炎が出てたらしい。
それでも「機関車」と「ケサラ」では、感動で泣きそうになった。
リクオさんのライブで泣きそうになったのは、初めてだと思う。
特に「機関車」。これは、すごかった。
「こんなに歌上手かったんだ。」(←かなり失礼。笑)て、思った。

今回、なにより特筆すべきことは、
リクオさんのライブアーティストとしての
プロフェッショナルぶりである。

お客の反応は微妙だったに違いない。
「初めてのライブ、初めての生音楽」
それで、いきなりのれってほうが、土台無理なのである。
そこをなんてスマートに、
なんて優しくリードするんだろう。
「すごいよ。この人やっぱり職人だよ。」て、思った。

MCで、場を和ませ、簡単なコール&レスポンスを共有させる。
一気にお客と自分の垣根を低くし、一体感を持たせる。

それはまるで「音楽」の楽しみをレクチャーする教授のよう。

年間100本以上のライブをこなす、
彼ならではの空間演出能力であろう。
とにかく、その手腕に感動したのである。

あの場に居た、すべての観客が
「音楽」を楽しんだに違いないのだ。

素晴らしい夜でした。
あんなライブはなかなか体験できないと思う。
「音楽」の素晴らしさをまた実感した。

この日は、佐呂間町にとってどんな日になったのかな。
「終わり」ではなく「始まり」の夜になったのなら、
素晴らしいなぁと、思うのでした。

いい夜でした。そして、いいお酒を飲みました。

ありがとう。
まだまだ、なんもしてません。(汗)

うひゃ〜、急げぇーっ!!

じゃ、行ってきます。

明日の準備。

2002年10月11日
明日、旅立ちます。
佐呂間ってとこ行きます。
1泊してきます。
リクオさんのライブです。

それは、いいとして、、、ですね。
なにを着たらいいんでしょう。
さっきから、決まらないっ。
暑いのか、寒いのか。
いや、夜は寒いんだ。夜は。
昼は、暑いんだ。昼がっ。

、、、悩むぅ〜。

もう寝よ。(投げた)

ハナレバナレ。

2002年10月10日
今日は洗濯。
しかし、なぜに3回に1回は、
片方しかない靴下が存在するのか。
出てくるのは、いい。
そのうち「あ、あった。」ってなるのは、いい。
全くわからなくなってしまうのは、なぜ?

異次元に迷いこんだか、、、。(違うと思うぞ。)

布団カバーも洗って、新しいのを付けた。
さっそく猫2匹が寝る。
なぜか、洗礼を受ける、新しいものたち。
猫砂も新しくすると、待ってたようにするのは、なぜか。

そして、そのまま猫達は7時間寝続ける。
猫の生活って、いったい、、、。

おあがり。

2002年10月9日
叔母が来た。

そこで、昨日、新しいジャケットも買ったことだし、
「おあがり」と称して、フリースのジャケットを譲った。

色は、赤みがかったオレンジ。
当時、16800円。(妙に覚えてる。笑)
2年ぐらいは、着た記憶がある。
が、去年は、ほとんど着なかった。
服装の趣味が、一変してしまったのが原因だ。

上着好きと、なかなか「これ」という定番モノに
会えなかったおかげで、年々、コートやジャケットは増加した。
「あれでもない。これでもない。」と、
どんどん買い替えるからだ。
よくお金が続くもんだよ、ったく。(苦笑)

結局、今現在も出番が多いのは、2、3着。
しかしながら、クローゼットに眠る数は知れない、、、。(汗)

昨日の買い物。黒のダウンジャケット。
これは、完全な定番モノになりそう。
運命の出会いっぽい、予感。
なぜなら、母が着ても、違和感なしだったこと。
これは、年齢関係なく、
好きなだけおつき合いできる服だってことだ。

あとは、8年目に突入する、ニットパーカー。
まだ、、、まだ着れるか?ってか、着るけどさ。
それにしてもよくも飽きずに8年間。
まだ飽きる気配がないとこが、素晴らしいよ。

そして、靴ね。
ボーナス出たら、考えようかな。
黒い靴がほしい。今、履いてるのと同じ形の色違い。
靴が買えたら、着れるスカートがあんのよね。
しまっておくには、惜し過ぎるスカート。
そのうち買おう。うん。

今だけじゃなくて、年を重ねても、
ずっと、ずっとおつき合いできる服に出会いたいな〜。

流行じゃなく、自分らしくあれ。

昨日の今日なのに。

2002年10月8日
昨日「買い物に行かない」と言ったのは、
どこのどいつだったのか、、、。

結局、行ってしまったのだった。(意志薄弱)

昨日の日記を書いたあと、尚も返済計画を立てていた。
忘れようとすればするほど、気になるのだ。
最後にはもう「あのコートと決着を付けなければ〜」って。(苦笑)

で、今日、お店へ行ってみた。
「まだあれば、運命として買おう。
なかったら、縁がなかったんだ。」そう思おう。

前回、気になってたコートは、やはりすでになかった。
「あ〜、売れてしまったんですよー。」と店長。
「あ、そうですか、、、。」

しかしながら、次の運命が待ち受けてたのですーっ!(大げさ)

買いも買ったり、しめて4点。

・ダウンジャケット(黒)
・マフラー(白)
・ペチコート(白)
・ペチコート(黒)

合計金額がいくらかなんて、言えません。
ちなみに返済は来年1月からで10回払いです。
は、働きます、、、。(汗)

冬よ早く来〜いっ!!
もうとっくに準備はできてんだぜ。
ジャケット着させろーーーっ!!(笑)
弟が、かぼちゃシフォンを焼いてくれたー。
うれしー、うまーい。

このシフォンには、ナツメグが入ってる。

ナツメグは鬱に効くんだよね。

って、別にぼくの今の心情を解して
弟がシフォンを焼いたわけではない。

でも、まあ結果的に「甘いものは一時の休息をくれる」わけで、
さらに、ナツメグ効果で、いい感じじゃないか。

あと、えーと、なにやってたかな、、、。

航空券の支払いしてきた。

、、、お金がない。

ただ今、お財布に1000円のみ。
それでも尚、ローンの支払い計画を立てつつ
「あのコート買おうかなぁ〜」なんてこと考えてたりする。

これってただの現実逃避の徴候?
買い物で、気が晴れる人間だから、
今、買い物に行くのは、とてつもなく危険。

計画立てるのは、楽しいからいいけど、
実際には買いにいかないどこう。

ホントに必要なのか、現時点の自分では判断しかねるよ。(苦笑)
秋のユウウツが、やってきましたよ。
毎年、懸念してるけど、
結局、つまずくんだね、ぼくは。

2日前、幸せをくれた人。
どうもありがとう。
あれがなかったら、今頃もうとっくに死んでるよ。(精神的に)

右手に幸せ。左手に憂鬱。

どうせ、ぼくは捨てられないんだ。
昔から、荷物は多い人間だったもんね。
だったら、持ってゆくしかないよね。
ため息つきながらも、左手を荷物に伸ばす。

重い。重いよなぁ〜、、、。

どこへゆくのか、旅は続く〜。

諦めも肝心だよね。

2002年10月6日
秋のユウウツが、やってきましたよ。
毎年、懸念してるけど、
結局、つまずくんだね、ぼくは。

2日前、幸せをくれた人。
どうもありがとう。
あれがなかったら、今頃もうとっくに死んでるよ。(精神的に)

右手に幸せ。左手に憂鬱。

どうせ、ぼくは捨てられないんだ。
昔から、荷物は多い人間だったもんね。
だったら、持ってゆくしかないよね。
ため息つきながらも、左手を荷物に伸ばす。

重い。重いよなぁ〜、、、。

どこへゆくのか、旅は続く〜。
少し気に触ることがあった。少しね。
「気にしてたらいけない」〜今週の占い。
だから、気にすることではないんだ、きっと。
少し神経過敏なのかもしれない。
でも、ちょっとだけ、書く。
そしたら、もう忘れる。

なんで、そんなこと公に書けるんだろう?
気を悪くする人が、いるかもしれないって、
どうして、想像できないんだろう?

一言、言いたい。

でも、言わないよ。
私の中で、あなたが「そういう人」だと、
位置付けされるだけ。

自分で気付かないうちは、どうにもならない。

言葉や文章は、とても大切なもの。
繊細で、強く、美しいもの。
自分の内側から、あえて外へと放り出す感情。
他人へ届く、もっとも簡単で、難しい手法。

とりあえずは「他人のフリ見て、我がフリ直せ」である。

ゆっくりと、確実に、言葉を紡ぐこと。
忘れないでゆこう。

きみに届くぼくの言葉が、どうか安らぎになりますように。
幸せで、嬉しくて、切なくて、苦しくて、悲しくて、泣いた。

やっぱり、きみが好きです。大好き。
あ〜、今、ちょっと凹んだ。
ラジオのタイマー録音失敗しちゃった。
人のオーディオ拝借して、
取説片手になんとかタイマー設定したのに、
時間設定間違ったみたい。

ひぃーーーー、、、。(T_T)くすん。

一応、生放送は聞いたの。
それだけが救いかも。
ああ、いい話してたのにな、、、。

モーツアルトが好きとか、なんとか。
そのへん、ちゃんと聞きたかったのに。
音楽家が音楽の話ししてるのが、一番聞きたい。

ぼくはただの素人だけど、そういうの聞くのは好き。

え〜んっ、悲しいわ。
明日は失敗しませんよーにっ!
初めて。うん、初めてだと思う。

台風。

朝、起きたら「ごごごごぉ〜〜〜〜」て、音。
ものすごい強風が吹き荒れていた。

呆然と「これが台風か。」と思った。
、、、ともかく、とりあえず仕事なのだ。

外へ出た。

むわん。とした、生暖かい空気。
ん〜、よろしくない。こんな雰囲気は好きじゃない。
秋は秋らしく、凛とした空気で朝を向かえたい。

ふと目をやると、なんと立ち木が倒れて道路閉鎖。
大自然の驚異だねぇ、、、。

ささ、とにかく仕事しろーって、ことで準備も整い、
よし、これからっ!

停電。

うそ?!うそでしょーっ!!
ぼくの仕事は電気がないと話しになんないよ。
すぐ復旧するよね?ね?

、、、、。

願いも虚しく、2時間半待たされた。
仕事ももちろん2時間半押し。
昼前に終わるハズの仕事が、正午に終わった。

ハラ減った。うぅぅ〜〜〜。

朝ごはんが、昼ごはんに。

もう、台風なんて来なくていいよーーーっだ!

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